2015年 冬アニメ感想 part.1 (夜ノヤッターマン、純潔のマリア、アブソリュート・デュオ)
今回は、この三作品の感想を。
・夜ノヤッターマン(夜ッターマン)
ヤッターマンはタツノコプロの代表作の一つである。コミカルなギャグをマシンガンのごとく連写して、お茶の間を笑顔にした作品。第一作は1977年、二作目は2008年、そして最近は朝の番組であるZIPにも顔を出すようになっている。
しかし、「夜ッターマン」は毛色が異なった。主人公はドロンボー一味の子孫、そして敵はヤッターマンだったのだ。私たちの味方だったヤッターメカは街を荒らし、人々はヤッターメトロポリスで強制労働……もう色々と狂っている。
さらに一話からして、感動の嵐。そう、夜ッターマンはとにかく「熱い」作品だったのだ。
一話はネットでも話題に上がり、公式サイトがダウンししたりしていたが(オープニングがとにかく良かった。ドロンジョがロリっ子だったことも理由に入るのかな?)話数を重ねるうちに安定したと思う(まとめサイト系が騒がなかったからね)
さらに、夜ッターマンは容赦の無い世界観を視聴者とドロンボー一味につきつける。数の暴力、赤札、夜ッターメトロポリスの真実などキツイ展開が多かったかもしれない。しかし、この作品は「ヤッターマン」コミカルなギャグは相変わらず存在している。それは砂漠のオアシスの如く尊かった。
こんな世界に対して真っ向から立ち向かうドロンボー一味はとてもかっこよかった。
最終回は熱いバトル展開。少し動画でおかしいところ(バンク)もあったけど。(特撮大好きな筆者にとってはバンクの有効活用は大好物である)
最近、ブルーレイBOX(完全版最終回収録)発売も決まったらしい。
それにしてもタツノコプロは、ガッチャマンクラウズの時もそうだが、一度既存の価値観をぶっ壊して、旧作の良さも生かしつつ、新たな可能性を提供するのが上手い。
・純潔のマリア
「彼女の名はマリア、聖母様と同じ名を持ち、聖母様と同じく処女……」
漫画原作。舞台は百年戦争真っ只中のフランス。そこに争いが大嫌いな魔女マリアがいた……。
この作品ではいろいろな価値観について考えさせられた。争いを嫌う人、争いを商売にする人、宗教を救いという人、宗教の力を悪用する人など、様々な考えを持つキャラクターが登場する。私にとって嫌な考えを持つキャラも居るのだが、どうも嫌いになれない。というのも、それぞれが愚直に幸せへ向かって邁進しているからだ。同時に、他人の幸せを尊重することの必要性を思い知らされる。
終わったあとに気づいたのだが、アニメ版のオリジナルキャラクターが7人くらいいたらしい。すげえもんだ。
・アブソリュート・デュオ
「焔牙(ブレイズ)!!!」 「ヤー!」
ラノベ原作。巷では「新たなるMF四天王の一角」とも言われている作品。
ごめん、最終回を見たあとでブレイズが「焔牙」って書くことを知った。
「あー、これもハーレム系バトルアニメか?でもデュオって設定もあるし、男もたくさん出るし……ハーレム系にはならないだろう。きっと二人で頑張る系だ、これ」と思って視聴し始めた。キャラそれぞれに個性があって、それぞれの主役回があるやつだ。そんなことも考えていた。
OPの映像がかっこ良すぎた。「デュオ」というテーマをふんだんに表現したOPは美しかった。(一話の謎のポーズは何だったんだろう。特撮好きだから楽しかったけどね)
途中話「あれ?ハーレム系アニメ?ふしぎなアメ的なのでレベルアップ?実弾を浴びても平気だと……」
ここらへんから視聴スタイルを「MF四天王」スタイルに変更。頭を空っぽにして見ることにした。
最終話「Kさん(敵のイケメン)勝ってくれ!頑張って!!」「巨乳ちゃん!是非主人公に鉄槌を!!」
なんと、私は敵側(特にKさん)を応援するようになったのだ。頭を空っぽにした結果、孤独に戦うKさんがかっこ良くなってしまったのだ。
戦う理由なんて関係ない。主人公の過去回想があったけど、最終話でも回収されなかったからどうでもいいことなんだろう。「アブソリュート・デュオへ至る道」?
ごめん、北欧語はさっぱりなんだ……
最後に、どうでもいいこと続きに「アミューズメントメディア総合学院」ってなんだったのか?(CMで連呼連呼してたけど)
この問にも私は「ごめん、北欧語はさっぱりなんだ」と返答しておこう。